ターニングポイント

父が亡くなってから2週間が過ぎました。ふと思うと、父は65歳で亡くなり、今の僕は32歳。仮に僕も65歳で死ぬと想定してみると、今がまさにターニングポイントなのだと言う事に気づきました。

ターニングポイントに突如として立ってみて思うのは、今迄の自分の人生はどうだったのか?これからの自分の人生はどうなっていくのか?どうしたいのか?と言う事です。

まだまだ頭の中はまとまっていませんが、ぼんやりと思いついた事を書きなぐってみようかと思います。書きなぐりなので、前後関係はおかしいかも知れませんし、一つのコンテンツとして仕上げるつもりも無いので、自分以外の方にとってはあまり価値が無いかもしれません。自分の記録として残す、ただそれだけです。

僕は転校生でした。そして、今も転校生だと思います。新しい環境や人とはある程度までは直ぐに馴染めますが、あまり自分を出す事がありません。人前で涙を流す事もありませんし、本音を話す事が怖いと感じる事も往々にしてあります。だから、広く浅いおつきあいが多く、割と深くつきあっている方は家族含めても少数。大学時代の友人と言っても2人だけです。一方、浅いおつきあいと言うのは本当に広く、広範囲です。ですが、深まらない…と言うよりも、深まる事を自ら避けている気さえしますが。だから、あまり皆さんと積極的に連絡を取ったり、話しかけたりと言う事がありません。でも、寂しがり屋なんですね。本当にたちが悪い。

なんで、積極的に人と関わったり、深まったりしないのかな?と考えてみると、きっとバレるのが怖いんでしょうね。とっても意地っ張りで格好つけなので、人から見た印象がやたら気になったりします。だから、ハメも外す事もなければ、自分をさらけ出す事も無い。自信が無いんです。

ただ一方で、仕事に関しては自信があったりします。それなりの苦労もしてきましたし、年齢の割にはたくさんの経験もあります。私生活だって、離婚経験があったり、今は結婚をしていて子供が二人もいたりと、それなりに経験はあると思うのですが、どうもこう、仕事と違って基準値がなさすぎて、比較対象が無さすぎて、多くの経験に自信を持つ事ができないのかもしれません。

そう、基準が必要なんです。きっと。

そしてその基準は、自分で用意するものでは無く、自分が所属する社会の尺度である事が僕にとって重要な事なんだと思います。

ほんと、今も昔も転校生のままです。新しい環境、馴染まない環境におどおどしながら、その環境や社会の尺度を見つけ出し、それに対して努力を積み重ねる。結果として、良い方に転がれば自信を持ちますし、その逆もまた然り。ただ、その尺度が見つからない場合、拠り所が無いが為に不安になる。

自分の中に軸を持てると言いなとは思いますが、それを外部に求め続けた32年間の経験が邪魔をします。だけど、その軸の重要性を最近、本当によく思います。

父が亡くなったとき、人って、家族がそばにいたとしても、結果的には孤独だと思いました。もちろん、人って家族や友人に支えられながら生きているわけなんですが、でも結局死ぬ時は一人なんだと。それを孤独と言ってしまう事は少し不適切な感じもしますが、今はその言葉を使います。

僕は元来、とっても寂しがりです。いつも誰かと触れ合っていたいし、誰かと一緒にいたいと思います。だから、浅く広い友人関係が必要だったりするんだと思います。

なんて事を書きながら、ふと、全てのベクトルが自分に向いている事に気がつきました。こういう文章を書いているわけですから、そうなるのは当然だとは思うんですが、過去のあれこれを考えながら書いていると、ベクトルを自分に向けているなぁと。だから、孤独だし、寂しいのかも知れません。周りが見えていないからこそ、自分の中に軸が無い様に思えるのかも知れません。

前を見たいと思います。周りを見渡してみたいと思います。自分に関わる多くの方を見てみたいと思います。

もしかしたら、それがターニングポイントを越えた先にある、自分の生き方や目標と言うものなのかも知れません。

Posted in: 個人的なこと



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