生きると言う事は、損なうと言う事

ねこ

三軒茶屋で見つけたひなたぼっこ中の猫さん。なかなか毛並みが素敵。

猫さんを見ていて、ふと「僕、猫アレルギー治ったよ!」とにこやかに話している音緒(長男)を思い出しました。音緒は昔から猫アレルギーで(ちなみに僕もそうなんですが)、猫にはなるべく近づかない様に言って来たのですが、近所の公園でおとなしい猫にほんの少し触った際に症状が出なかったらしく、その事に関する発言でした。

大人の視点から見れば、ほんの少しの接触だったので、アレルギーが出なかったのだろうと思うのが当然かと思いますが、音緒の視点では治った事に。こうした、ちょっとした事でそれまでの事がひっくり返ったりする事は多々あるのですが、よくよく考えてみると、それってすごい事なのでは無いか?と思いました。

大人って、なんだかんだ理由を付けて、前後関係を持ち出して、なかなか物事を信じようとしませんよね。でも、子供はもっともっとストレートで直線的に物事を信じる。そう言う信じる力って、なかなか教えて出来るものでは無いですし、意識して出来る事でも無いのではないかと思います。でも、それを子供は自然に出来ていて、きっと僕ら大人も子供の時には出来ていて、大人になるにつれそれが出来なくなり、疑い深くなり、信じ易い人をだます人まで現れて。

よく「子供って完璧だなぁ」と思います。もどかしくなる位の素直さと、驚く程の信じる力と、想像すらつかない感性を持ち合わせて生まれてくるのだと思います。ですが、それが徐々に損なわれて行く。それが大人になると言う事であり、生きると言う事の様に思えるのです。

僕はどうやら今年で33歳になる様ですが、僕にも子供の頃があり、キラキラと輝いていた毎日がありました。そして、30年とちょっと生きて来た中で、そのキラキラは損なわれ、「大人」と言う別のものに変わってしまったのかも知れません。そう考えると少し寂しい気分になりますが、きっとそれで良かったのだと思います。今の自分は損なわれているかも知れませんが、その分手にしたものもありますし、交換してきた幾つもの思い出が今の自分を作っているのだと思います。

33歳になるまであと数ヶ月。残された32歳のキラキラを僕は何と交換していくのでしょうか?きっと、神様にしか分からない問いに考えを巡らせながら、温かな日だまりの中をお散歩した一日の始まりでした。

Posted in: 個人的なこと

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