行動の殆どに理由など無い

ふと考えてみると、自身がとる行動の殆どに理由など無い事に気がついた。もちろん、仕事は前後関係を考えながら、目標を考えながら行動するので「理由」はある。だけど、それ以外、例えばどんな曲を聴こうか、どこに行こうか、何を食べようか?と言った物事の多くは前提として「理由」があるわけではなく、直感にも似た判断がそこに横たわっているだけだ。瞬間的に「○○だから」と言う理由を判断の後に付け加えるケースも多々あるものの、それらの多くは「誰かに説明する為」の理由であって、自身の行動や判断の真実の理由では無い気がしている。

例えば休日に子供達と公園にサッカーをしに行った。そこには、「子供がサッカーを習っているので練習に」「休みだし外遊びさせたい」など数多くの理由が隠れている様に思えるが、その時の瞬間的な判断としては「ただ、子供とサッカーをしたかった」と言うのが理由になるのだろう。

しかし、一旦理由を付けた判断や行動は、後付けにもかかわらず、その理由があたかも正当化され、それが本当の理由の様に変わってしまうケースも多々ある。なぜあんな事を言ったのか?なぜ、あんな行動をしたいのか?そんな事を思い返すと、そこには説明目的で付与された理由がどっしりと座っていて、あたかも自身が正しいものの様な顔をしているケースが多いのではないだろうか?

もう一歩踏み込んでみると、自身の中に理由が明確なケースは(僕は特に)少ない。後付けで理由を考える際にも、自身の中に理由を発見するのでは無く、他者にその理由を発見するケースの方が多い。これではまるで衝動的な生き物ですと言っているようだが、まさに自分自身はそうなのだと思う。自分の中にある何かによって衝動的に判断し、行動する。それの積み重ねが日常であり、人格を形成するものなのかも知れない。

しょうが紅茶

3 Comments to “行動の殆どに理由など無い”

  1. おさない 15 1月 2010 at 11:26 AM #

    深いエントリが連続してますな。

    ところで、あけましておめでと。遅いけど。
    今年もよろしくねー!

  2. サトウマサヒコ 15 1月 2010 at 12:50 PM #

    色々と考え事する暇があるって事ですよw

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