行動の殆どに理由など無い
ふと考えてみると、自身がとる行動の殆どに理由など無い事に気がついた。もちろん、仕事は前後関係を考えながら、目標を考えながら行動するので「理由」はある。だけど、それ以外、例えばどんな曲を聴こうか、どこに行こうか、何を食べようか?と言った物事の多くは前提として「理由」があるわけではなく、直感にも似た判断がそこに横たわっているだけだ。瞬間的に「○○だから」と言う理由を判断の後に付け加えるケースも多々あるものの、それらの多くは「誰かに説明する為」の理由であって、自身の行動や判断の真実の理由では無い気がしている。
例えば休日に子供達と公園にサッカーをしに行った。そこには、「子供がサッカーを習っているので練習に」「休みだし外遊びさせたい」など数多くの理由が隠れている様に思えるが、その時の瞬間的な判断としては「ただ、子供とサッカーをしたかった」と言うのが理由になるのだろう。
しかし、一旦理由を付けた判断や行動は、後付けにもかかわらず、その理由があたかも正当化され、それが本当の理由の様に変わってしまうケースも多々ある。なぜあんな事を言ったのか?なぜ、あんな行動をしたいのか?そんな事を思い返すと、そこには説明目的で付与された理由がどっしりと座っていて、あたかも自身が正しいものの様な顔をしているケースが多いのではないだろうか?
もう一歩踏み込んでみると、自身の中に理由が明確なケースは(僕は特に)少ない。後付けで理由を考える際にも、自身の中に理由を発見するのでは無く、他者にその理由を発見するケースの方が多い。これではまるで衝動的な生き物ですと言っているようだが、まさに自分自身はそうなのだと思う。自分の中にある何かによって衝動的に判断し、行動する。それの積み重ねが日常であり、人格を形成するものなのかも知れない。
3 Comments to “行動の殆どに理由など無い”
Leave a Reply

深いエントリが連続してますな。
ところで、あけましておめでと。遅いけど。
今年もよろしくねー!
色々と考え事する暇があるって事ですよw
[...] This post was mentioned on Twitter by ごむ, サトウマサヒコ. サトウマサヒコ said: : 行動の殆どに理由など無い http://bit.ly/89sbVw [...]